内緒と内証

2020/10

  お彼岸が明けてからしばらく経ちますが、暑さ寒さは彼岸までとはよく言ったもので涼しい日が多くなってまいりました。季節の分かれ目、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

 

 さて、本日は常日頃使っている言葉ではありますが、実は仏教が語源の「内緒」に関してお話させていただきます。

そもそも内緒とは、仏教語の「内証」に由来しており、この内証は「内なる悟り」ということを意味するそうです。さらに仏教的な言い方をすると「自内証」ともいうようです。

「華厳経」という経典に関連して、内証に触れているお話がありましたのでご紹介します。

 

ある時お釈迦さまが説法をしていたところ、その内容があまりにも難解で、聴衆はみな呆気にとられてしまった、というお話があります。

ここでお説きになった内容が、今回の本題である「内証」を語ったということのようです。ここでいう内証を語るとは、悟りの境地をそのまま聴衆に説いた、ということです。

お釈迦さまが何十年もかけて到達した境地ですから、口で説いたところですぐに理解は出来ませんよね。当時のお釈迦さまも分からないのは承知で説法していたようです。

 

 ここから、仏教語としての内証から内緒へと変化し、他者から見えない心のうちや、こっそり思っていること等を一般的に指すようになったといわれています。

 

 内緒話すべてが悪いことではないでしょうが、気づいたときには広まってしまっているものです。ぐっとこらえて心のうちにしまっておきたいですね。


合掌

(笠井 裕舜)