おかげさまで春が来る

令和2年春彼岸

 境内に沈丁花の香りがただよい、桜のつぼみが膨らみはじめました。暖冬と言われながら寒い日も続きましたが、ようやく春の気配を感じることが出来るようになりました。

 

 最近、今までの常識を覆すような出来事が起こっています。人を欺き、法を犯し、自分のしたことの正当性を声高に主張する。新しいウイルスが発生し、偏見や差別的な行動が起き混乱しています。人間、恐怖や不安を感じると冷静さを失うことが多いと言われていますが、まさにその状態に到っているようです。

 

 人は生まれながらにして他人のことを想い、尽くしたいという願いを持っています。一人で生きていると思うのではなく、自分以外から受ける恩恵を「おかげさま」と受け止めて、与えられた寿命を精一杯生かすことは、人間の本能に基づくものであります。

法然上人は、

『いけらば念仏の功つもり、しなば浄土へまいりなん。とてもかくても、此の身には、思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし。』

【生きている間はお念仏を称えてその功徳が積もり、命尽きたならばお浄土に参らせていただきます。いずれにしてもこの身にはあれこれと思い悩むことなどないのだと思ったならば、生きるにも死ぬにも、なにごとにも悩みなどなくなるのです。】

 

と説かれました。温かな心を持ち、お念仏を唱えて悩みを拭い、おかげさまを胸に刻みながら歩んで行けば、我がこころにも 春がまいります。